一、哲学とは何か
- 本当かどうか証明はできませんけど、人間と哲学の関係を以下のように捉えると、個々の問題について挑みやすくなります。
- 人間がいます。精神があります。精神は知情意の作用からなります。
- 作用のあるところ、目的や理想が生じます。
- また、精神は意識によってこの世に顕現します。
- 意識のあるところ、外界と内界が生じます。
- するとこうなります。
- 内界に対する知の働きは、【真】を理想とします。哲学において、その営為を【形而上学】といいます。
- 外界に対する知の働きも、【真】が理想。その営為は【自然科学(特に物理学)】。
- 内界に対する情の働きは、【善】が理想。―【宗教と倫理】
- 外界に対する情の働きは、【美】が理想。―【詩文芸】
- 形而上学は、狭くてしっかりした意味での哲学です。哲学のなかの哲学、第一哲学といったところです。形而上学は、存在と認識を扱います。科学や宗教・倫理、詩文芸などの芸術は、この存在と認識の問題に触れるとき、内容がきわめて哲学的になります。これらが広義の哲学です。
- 形而上学をプロフェッショナルの哲学、他の三つをアマチュアの哲学と捉えることもできます。
- また、知の働き(科学、形而上学)と情の働き(宗教・倫理、詩文芸)との関係は、哲学上、大きな意味を持ちます。両者が、生物界の雄と雌のように精神的に交接するところに、哲学の醍醐味があります。
- この二つの働きは、前者のテーマを「世界や宇宙や自我が実在する根拠」に、後者のそれを「人間はいかに生きるべきか、生きる意味や人生の目的」に絞ると、「在の哲学」と「生の哲学」というように呼び分けることもできます。
- それから最後に、四つの営為を専らとする姿勢を、楽聖とか詩仙とか工匠とか食通という言い方に倣って、順に【哲匠】、【哲通】、【哲聖】、【哲仙】と呼ぶことができます。
- 管理人の個人的な意気込み
- 日本語で"喜怒哀楽"といったら、様々な感情の代表格として扱われているように、哲学と言ったら「科学の真」「形而上学の真」「宗教・倫理の善」「詩文芸の美」という言い方を定着させたいです。できることなら、教育が変わるくらいにまで定着させたいです。
- 同時に、哲匠、哲通、哲聖、哲仙という言い方も定着させたいです。できることなら、IMEで変換可能になるまで。
二、生の哲学
- 生命について、いろいろ考え方がありますが、以下のように考えることもできます。
- 物質という生命 ― 唯一の根源的な、幸福に対する志向
- 植物という生命 ― 物質に続く、幸福に対する志向
- 動物という生命 ― 経験的幸福に対する志向
- 人間という生命 ― 理性的幸福に対する志向
- 人間の生命とは、誕生年月日から没年月日までの人体の生存にあるのではありません。そこにあるのは動物としてのヒトの生命です。心肺機能の停止によって死ぬのは、文字通り動物としての生命であって、人間の生命はもっと別の出来事で死にます。
- 知的錯誤や倫理的罪過によって、傷つき死ぬのが人間の生命です。その人の内面における物事の在り方が行き詰まること、結果として何やっても上手くいかないことが、人間の死です。
- 人間が時々生きる意味を見出せなくなったりするのは、動物としての生命と人間としての生命を混同しているからに他なりません。
- 管理人の個人的な意気込み
- 動物としての生存と人間の生命とを混同することから生じる、ふて腐れたニヒリズムをこの世から葬り去りたいです。
- ふて腐れたニヒリズムとは、「人間が生きるとき、何を第一に大事にしたり、求めたりしたらいいのか」が見出せなくなっている状態のことです。時には、皆が言う"幸せ"などというものすら、欺瞞的なものに思えてくる段階まで進みます。もっと酷いと、人間社会が衆愚の塊のように思えてきたりもします。
- このとき、人間社会が相手ですから、毒づきたくてもそうそうできるものではないので、不満がたまっていく一方になります。一人の人間にとって、これほど不幸なことはありません。
- 死ぬと無に帰すようなものを大事にしたり、求めたりするからそうなるんです。死ぬと無に帰すものとは、動物が求める経験的な幸福のことです。具体的に言うと、神経で感じ取れる快/不快のことです。
- 神経で感じ取れる楽しさや喜びを、それ単体で求めたってダメです。死の観念が全てを空しくしてしまうように、世の中できている気がします。
- 人間は、物事の正しさを、求めたり大事にしたりすればいいんです。
- 物事の正しき在り方は、その人が死んだって、何の変更も受けずに世界で働き続けるでしょう。宇宙がビッグ・クランチで終焉を迎えたって変わらないと言っても過言でありません。"在り方"なんですから。そういうものを求めたり大事にすればいいんです。
- ↑の理性的幸福とはそういうことを指しています。求めた在り方が正しかったら幸せで、誤っていたら動植物の死に匹敵する不幸だということです。
- 楽しさや喜びなどの経験的幸福は、人間にとって二義的なものにすぎません。
- そういうことを訴えていきたいです。
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